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Pick Up Riders

15周年記念座談会

2009年7月16日、ムラサキスポーツ上野本店で、PSA ASIA初代会長 西川たかし、第1期JSBA公認プロ 牛山基樹、現PSA ASIA会長 荒川祥範、現PSA ASIAアルパイン部長 MC-Jillの4人による対談が行われました。
ムラサキスポーツと言えば、本社スペースをお借りしてPSA ASIA創設に関わる会議が行われたり、PSA ASIAにとっても縁深く、またスノーボードの普及発展に大きな功績のある老舗ショップです。
2009 JSBA Year Bookにその一部が掲載されましたが、ここでは誌面スペースの都合で載せられなかった部分もお見せします!

MC-Jill
(以下 J):
MC-Jill司会を務めるMC-Jillです! まずは、お名前をお願いします。
PSA ASIAアルパイン部長。アルパイン種目を得意とする現役プロ。滑るだけでなく大会やイベントなどでMCも努めている。
西川
(以下 ス):
西川たかし西川たかしです。通称スラです。
PSA ASIA初代会長。15年前、PSA ASIAを立ち上げた人物。現在はスノーボード関連用品を扱う会社に勤め、多くの選手をサポートしている。
牛山
(以下 牛):
牛山基樹牛山基樹です。
第1期JSBA公認プロ。プロ認定から20年、現在はスノーボードスクールの経営やスノーボードの開発・販売などを行っている。
荒川
(以下 荒):
荒川祥範PSA ASIA会長の荒川祥範です。
PSA ASIA 5代目会長。現役のプロ選手でありながら会長と事務局長も兼任し、スノーボード業界活性化の為に日々奮闘している。
J:
今日はたっぷりと昭和からの話聞かせてもらいますよ!(笑) 早速ですが、プロ1期生であるスラさんと基樹さんは、いつからスノーボードをやっているのですか?
ス:
24年前かな。当時働いていたムラサキスポーツ原宿店の店長に言われて、取りあえず滑りに行ったんですよ。その後ヨマセであった関東大会にも出ろって言われたんですけど、転んじゃって。でもエコーバレーでの全日本には進めたんですけど、そこでも転んじゃって、もう悔しくて悔しくて。それでスノーボードにハマっちゃったんですよ。
牛:
俺は神奈川の大学に通ってて、そこでサーフィンを始めて、その延長だね。で、エコーバレーに行って、大先輩の相沢盛夫さんとかローズ勝島さん、スラちゃんが毎週の様に滑りに来てて、凄いなぁこの人達は!って思ったよね〜。あれはたぶん23年前だったと思うよ。スキーはそれなりに出来たけど、スノーボードだと転んでばかりだったから、雪との距離が凄く近く感じて新鮮な感じがしたなぁ〜。
ス:
その頃は、アルペンボードしかなくてね〜。
J:
ブーツはもしかして登山靴?
ス:
そう、登山靴みたいなソフトブーツ(笑) 僕が初めてもらったSimsのボードにはエッジが付いてなかったけど、次の年にはエッジが付いてたかなぁ〜。Burtonにエッジが付いたのも同じ年だったと思うよ。
牛:
スラちゃんは生粋のSims乗りでSimsの顔で、俺はBurtonだったんだ。当時、Burtonを辞めるっていうのは、スノーボードを辞めるか?バカじゃねぇのか?って言われるぐらいの事だったんだけど、俺の中でBurtonが全てじゃなかったんだよね。ヨーロッパの選手をワールドカップで見た時に、何じゃこりゃ〜!?っていう速さで、メチャクチャ格好良くて! あのボードは何だ?って見てみたらHotだったわけ!
J:
新たな新境地を求めてBurtonを辞めたって事ですね。
ス:
基樹ちゃんがHotに移籍した後の大会の時なんて、一本目俺が勝ったら、その時来ていたHotの外国人ライダーが、基樹ちゃんにこのボードに乗れって、まだ日本になかった非対称のボードを手渡してさぁ〜。見たこともないボードなのに、ピュピュピュ〜って滑っちゃって、気が付いた時には僕が負けちゃって…。
J:
じゃあ、日本で一番最初に非対称のボードに乗ったのは基樹さんという事ですか?
牛:
完全に非対称なのは、俺が最初だったと思うよ。
ス:
今と違って、市販されている物とトッププロが乗っている物は全然違いましたからね。
牛:
だから、ボードを最新のものに変えて滑るだけで、1秒ぐらい簡単に縮めちゃえるぐらい日々進化してたんですよ。Hotが日本人用にボードを開発することになって、俺が提案するものが次々と形となって俺の手元に届き試乗して、また新しいアイデアが生まれていく。それが凄く面白かったですね。
J:
じゃあ、日本で販売されていたHotのボードは、全て基樹さんが開発に携わったって事?
牛:
そういうことだね。
荒:
そして、91年にプロ制度が発足したわけですが、当時の様子はどんなでした?
ス:
昔、白樺湖と乳頭の2箇所でアマチュア選手を集めてプロテストをしたの。
J:
え!? プロテストって?
牛:
今でいうプロトライアルだよ。JSBAの決まりでアマチュアには賞金を渡せない事になってるでしょ。ルスツでワールドカップをやるのに賞金が必要だから、日本でもプロ資格を作った感じだね。その時に、俺はアルペンでプロ資格を取ったよ。
ス:
俺はハーフパイプに出場した。
J:
基樹さんはアルペンで、スラさんはパイプでプロ資格を取ったんだ。それは誰がジャッジしたんですか?
牛:
アルペンはタイム測定だったから特にいないけど、パイプは当時のJSBA役員の方達だったよ。
ス:
今はナショナルチームのコーチやってる石橋一は、アルペンに出たんだけどコケちゃったから、そのままパイプに出場してプロ資格を取ったんだよ。最近みたいにパイプの選手はパイプだけ、アルペンの選手はアルペンだけが上手いんじゃなくて、昔の人達はスノーボードが上手かったんだよね。基樹ちゃんだってパイプやってたもんね。
牛:
あぁ〜、昔はパイプの大会にも出てたよね〜。
ス:
その当時のISFでは、誰が一番スノーボードが上手いか!?って感じで、オーバーオールで成績を残している奴が一番上手いって評価されてたからね〜。
J:
今は各種目に特化してる選手が多いからオーバーオールをやってないんですけどね。
ス:
今はもう出来ないんじゃないですか? 確かに今の人達は、僕らの時代に比べて10倍も20倍も上手いですよ。でもスノーボードがその人達に劣るとは、僕は全然思ってないよ。ターン1つとってみても、根本的に何か違うのかなぁ〜って思うよね。
牛:
スノーボードが好きというよりは、パイプが好きとか、アルペンが好き!って感じなんじゃないかなぁ〜。俺達は山が好きで雪が好き!ってことなのかな。
PSA発足当時は、とにかく海外に並ぶように、誰しも手探りで活動していた。
J:
お二人は用具の開発をして、プロ組織を立ち上げて、かなり面白い時代だったと思いますが、なぜスラさんがPSAの初代会長になったのですか?
ス:
PSAが発足する2〜3年位前からハーフパイプが行われるようになって、PSAの会長にはアルペンとハーフパイプ両方の競技に出場していて、両方の意見を聞ける人が会長になってほしい!ってことで、僕が選ばれたんです。
牛:
スラちゃんじゃなければ、PSAの立ち上げなんて無理だった。ワールドカップで感じたのは、世界と日本の大会レベルの差。日本に帰ってくると、選手の技術だけじゃなく、大会の運営が世界と比べると低く感じて、日本のプロツアーが変わらなければ、草大会と一緒じゃねぇか!って思うから、俺がバーンと言うじゃん。そうすると周りから『基樹のやつ、海外かぶれしちゃってよぉ〜!』って言われるんだけど、みんなの意見を集約して最終的に上手くまとめるのがスラちゃんなの。
ス:
日本はまだ自分達で何とかしなければならないという感じで、余裕がなかったんですよね。観客に見せるっていうのがプロ選手の仕事なわけ。やっぱり我々の滑りで人を呼びたいっていうのがありましたね。
荒:
当時大会を見に来る人は多かったんですか?
牛:
それなりにいたよね! だって、俺スターだったもん(笑)
J:
そう! 忘れもしない山と渓谷社から出ていた「世界100人のスノーボーダー」ってビデオで、尾瀬戸倉の急斜面を降りてくる基樹さんの姿を見てスノーボードを始めたようなものですから。
牛:
やっぱ俺は、きわどい斜面を平気な顔をして滑ってきたかったんだよ。
ス:
プロ選手ってエンターテイナーなんですよね。エコーバレーの大会だったかなぁ? 外国人ライダーが来ていて、腕にプロテクターをつけてロングポール(※当時はインポールもロングポールだった)にバチンバチンと当たっていくわけ。それを見て、宿にあったスリッパを腕と足に付けて、バシバシ当たりにいってましたね〜。
J:
ってことは、日本で最初のプロテクターはスリッパって事!?
牛:
間違いないね(大笑) ジャンボ古川なんて鉄のプロテクターなんか作ってきちゃってさぁ〜、それもポールに当る時に『ハァ!ハァ!』って声を出しちゃってぇ〜!(笑)
ス:
それをね、デュアルでやられると気になっちゃってね〜。
牛:
ジャンボのペースに乗せられちゃうんだよ! あっ、あとね。北志賀ハイツの大会の時には、必ずジャンプ台があったんだよね。
J:
それはプレジャン?
ス:
そう、プレジャン。ほぼフラットのところに大きいのを作るから、ドスン!って落ちるの。で、昔のビンディングって衝撃でが外れちゃうから、ドスン!ボーン!って吹っ飛んじゃうの!(笑) ポールに引っ掛けて外れちゃうか、着地の衝撃で外れちゃうかのどちらかだった。
J:
ワールドカップでもそういうプレジャンはあったんですか?
牛:
あったね〜。浅貝のコースもそうだけど、斜度のないコースで大会をする時は、変化を付けようってことでプレジャンが設置されていたね。
ス:
ハーフパイプだってL字型に曲がってたもんね!(笑)
J:
えぇ? パイプが曲がっていたってどういう事??
ス:
パイプの下部に、パイプに対して直角に流れる川があって、そこを綺麗にシェイプしていくとL字のパイプになるんです。俺はそこをヒップみたいに飛ぶのが得意でしたね。
J:
へぇ〜、そのL字が見せ場ですね♪ そんな面白いのをPSAの公認大会でやってたってこと?
ス:
いやぁ〜、それはまだPSAが発足する前の事だったかなぁ。
JSBAプロとしてやってきたことを、PSA一丸となって守るために闘った時代も。
荒:
1994年3月から翌年8月の間に、PSAの前身であるPCM(プロコンペティターズミーティング)という選手会のミーティングが3回行われ、95年8月のJSBA理事代議員総会でPSA ASIAの独立が承認されたのですが、独立しようとなった経緯を教えてもらえますか?
牛:
プロ制度ができた後も、プロの大会を地区大会と抱き合わせでやってたんだけど、プロはプロでやっていった方が良いという雰囲気になっていったんだよ。
ス:
オリンピックに絡んでいた部分もあって、オリンピックはアマチュア、賞金を貰うのがプロなので、その部分を分けて考えなければならないというのがあったんですよね。ミーティングでは、JSBAの大会に出るのか? SAJの大会に出るのか?っていう、棲み分けをどうするのかがよく議題になっていましたね。
牛:
サッカーのワールドカップと同じ様に、JSBAのプロはISFの大会がワールドカップで、その時はオリンピックよりワールドカップの方が凄いじゃん!って雰囲気も勢いもあったんだよね。
J:
現在では、プロでもSAJの大会に出てオリンピック目指してる人もいますけど、当時は、他団体の大会に出場したっていいんじゃない?って人はいなかったのですか?
ス:
いゃ、いたよね。
牛:
でも、自分達でやってきたものをSAJにゴッソリ持っていかれそうな雰囲気で、自分達で守らなきゃ!って気持ちが強かったんだ。アメリカにはUSグランプリがあって、ISFの選手もFISの選手も同じ様に戦って、一番良い選手をアメリカの代表としてオリンピックに出そうとしていた。でも日本は違って、ISFのトップシードでJSBAのトッププロがSAJの大会に出ると150番ぐらいからスタートさせられちゃう事もあったわけ。『そこまでして、俺達はオリンピックの為に頑張ってきた訳じゃないよな!』ってミーティングの時に意見が出て、オリンピックより大事なものを、俺達は大事にしていこうよ!ってまとまったの。長野で金メダルを取った選手がメダルをブン投げちゃったりしたでしょ。そういう時代だったんですよ。だからこそ、選手同士が近く感じたし、組織の事、自分達の事、これから向かっていく方向をよく話し合った。翌日は大会なのに、気が付けば夜中の1時、2時なんて事もあったけど、今決めなきゃダメな事だからって、ずっと話し合ってね…。
J:
とても夢を持って活動していたんですね〜。
牛:
俺は早い段階でスノーボードで食っていこうと決めちゃったから、スノーボードに関係するビジネスを割と早くから集中できたの。でも今のプロ達は、スノーボードだけでやっていくのが大変な時代じゃない?
大先輩から、プロの本質とは何かを問われる大切なメッセージもいただいた。
J:
今はかなり厳しい時代となっていますね。その逆境下で、PSAは賞金総額1,000万円を越えるプロツアーを開催しているわけですが、この業界の先輩として、何かアドバイスを頂けないでしょうか?
ス:
本当にスノーボードが好きで、この道で食っていきたかったら、この業界の為に尽くせ!と僕は言いたいですね。各個人の実力は十分にあると思うので、後はプロとしての質を上げていく事が大事なのではないでしょうか? あと、スノーボードが上手い奴はいっぱいいるんだけど、格好良い奴が少ない気がするんだよね。今、何が必要かと言えば、やはりカリスマ的存在だと思いますね。
荒:
スノーボードのカリスマって事ですよね。
ス:
そう! アルペンのカリスマ、ハーフパイプのカリスマはいると思いますが、スノーボードのカリスマっていうと、今は存在しないのかなぁ〜って思います。だから、もっとスノーボード技術を磨いて欲しいです。
J:
フリーランをしないで、パークやゲートばかりって人も多いですからね。
牛:
う〜ん、俺達はフリーランをいっぱいしてた。本当にスノーボードが好きで、山の空気・音・風、自分が滑り始めた時の感覚、落ち込みになっている所に突っ込んでいく時の自分との会話、全てが好きなんだよね。理屈抜きでスノーボードが楽しくて、今でも朝一のリフトは俺が乗るんだから! とにかく、みんなにスノーボードというもので楽しんでほしいんだよ。
ス:
各種目に固執しちゃっているのを一度取り払って、スノーボードをもっと楽しんでもらいたいですね。
荒:
競技だけに固執するのではなく、スノーボードの楽しさを伝えていく事もプロとしての役目だと僕も思いますね。ところで、基樹さんは、プロ制度が始まった1990年から20年間もプロ登録していますが、どうしてですか?
牛:
俺は、この世界で食っていくと決めた時から、プロであり続けるしかないと思っているからだよ。スラちゃんは滑る時間は少ないけど、ムラサキスポーツの社員で、お給料を貰えてたじゃん。俺は滑る時間はあったけど、大会で賞金を稼いだり、メーカーと契約することで稼ぐしかなかったんだよ。だからこそストイックに活動できたし、自分を追い込んだりもしたよ。そうやってプロとしてずっとやってきたからね!
J:
そのスピリットを皆に伝えていきたいなぁ!
牛:
あとは、もう一度しっかりトレーニングをしてプロとして大会に出たいと思っているんだよ。俺がスクールで教えてきた子達がプロになってるから、彼らとガチンコで勝負したいね! まぁ、実際には上手く滑れないと思うけど、気持ちだけは負けないでいたい。やっぱり、目標を持つことが大切だからね。
J:
本当ですか! 今度の冬はPSA発足15年目ということで、なんと全種目同会場での開催をしますので、是非参加して下さい。
牛:
おぉ〜、俺は本気でやるぜ!
ス:
でも、体に悪いから凄い急斜面はやめてね(笑)
牛:
じゃあ、このインタビュー記事の中に、昔の連中に『俺とスラちゃんが、みんなも出場しろ!』って言ってたって書いておきなよ。
J:
では、お二人は出場してくれるって事でいいですね♪
牛:
勿論だよ。それで、大会が終わった後はみんなで鍋を囲んで、同窓会をやればいいじゃん。
J:
今回の15周年記念では、もう一度競技に参加したいプロ・元プロに参加してもらいましょう!